200歳までの自分が願ったこと
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仕事ばかりしていて運動不足だったので、スポーツに挑戦することに。
テレビで活躍している日本のプロテニス選手を知り、テニスを始めた。
仕事を通じて学んだことだが、まず、優秀な人を真似て、学ぶことが大切。
専属のコーチを雇い、毎日テニスの練習をした。
すると、年齢別のテニス大会で勝てるようになった。
それだけでは満足できなかった。
テニスの四大国際大会の一つである、
ウィンブルドン選手権で優勝することを目指した。
まわりの誰もが「無謀だ」「お前にはできない」と言った。
私は聞く耳を持たなかった。
そのような人は自分ができないから、諦めて欲しいのだと思った。
自分の人生は自分で決めるもの。
本格的にテニスを学ぶためにアメリカへテニス留学をすることに。
全寮制のテニススクールに通い、一流のコーチ陣に鍛えてもらった。
それから20年後。
ついにウィンブルドン選手権で優勝することに。
優勝するまでとても長かった。
初めて挑戦したときには1回戦負けだった。
次の年は2回戦まで。
何度も何度もくじけそうになった。
それでも諦めなかった。
会社の経営を通じ、成功するまで挑戦し続ければ良いことを知っていたからだ。
試合に負ける度にバスケットボールの神様「マイケルジョーダン」の言葉を思い出した。
「9000回以上シュートを外し、
300試合に敗れ、
決勝シュートを任されて26回も外した。
人生で何度も何度も失敗してきた。
だから私は成功した」
このとき、私は120歳だった。
120歳になると「大還暦」というらしい。
ギネスの世界記録保持者は122歳らしいが、
3年後、記録を塗り替えることになった。
肉体的な限界はないものの、
他にもやりたいことがあるため、あっさりとテニスは引退した。
しかし、時が経つにつれ、
どうしても優勝した時の達成感や感動が忘れられなかった。
同じスポーツで同じ感動を得るのは難しいと考え、水泳にも挑戦した。
また、テニスと同じようにその道のプロから学びながら練習する。
テニスで体を鍛えていたので、
水泳をマスターするのに時間がかからなかった。
どんな経験も無駄になることはなく、
一生懸命努力した経験は他の分野でも役立つことが多い。
10年もすると、世界選手権でバラフライ、自由形、平泳ぎの3種目で優勝。
夏のオリンピックでは同じ3種目で金メダル。
それから新しいスポーツに挑戦することが楽しくなり、
陸上、柔道、フェンシングなど挑戦して金メダルを獲得した。
金メダルを獲得した数はギネス記録にもなった。
でも、どうしても陸上の短距離走は勝てなかった。
100メートルを10秒きることはできないし、
ジャマイカの選手にはどうしても勝てなかった。
肉体的な限界があるのかもしれない。
努力できることが才能だと思っていたが、
このとき「努力の限界」を知った。
しかし、1つ言える事は、努力しなければチャンスはつかめない。
あとは自分の活躍できる場所を見極めることが大切だ。
色々なスポーツにチャレンジをしているうちに、
すでに私は200歳となっていた。
あらゆるスポーツを通じて、極めるコツをつかんだ気がした。
「1万時間以上練習すること」
これぐらい練習すれば世界でも戦えるようになる。
天才について研究した学者も同じようなことを言っていた。
スポーツにかぎったことではないのかもしれない。
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